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2011.08.30 とりあえず、
日本へ戻っていますw


でも、ちょっと忙しいです。


今度の日曜日からまた海外へ出てしまいます。


では、では。


管理人


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2011.08.27 結果発表
ナイロビ滞在、約1ヶ月。
お酒を入手しづらい環境にあり、こんな結果に。

s-kinsyu.jpg


8月1日~今日(8月27日)まで、
27日間で18日間の禁酒。


毎月、こんな感じだといいのだが、
きっと、お酒が買える環境になると・・・


来るときはベルトなしの501も
帰りはベルトが必要になった。
ベルトも穴が1つずれた (^o^)


たぶん、3kgぐらいは落ちたような感じだ。
帰国後、さっそく測ってみよう。


しかし、酒がない環境だと我慢できるわけだから、
イスラム圏に2年ぐらい出張にいってみるかな。
一気に体質が改善されるような感じだ(笑)。


まあ、そんなわけで、美味い飯を食べて、
美味い酒を飲みたい今日このごろでございます。


2011.08.26 ぼちぼち
マンボ・ヴィピ! ポア!
どうも管理でございます。


何とか無事に全ての仕事が終わった。
久しぶりに何も考えずに今夜はゆっくりとできる。


普通ならば、今夜は飲みに出歩くところだが、
如何せん、ここはナイロビ、夜は危険なのである。


バンコクみたいに気軽に飲み歩ければ良いのだが、
100%、夜は歩いて外出できないからね、ここは。
仮に命は助かっても、帰る時はスッポンポンだろうね(笑)。


そんなわけで、今夜はこんな豪華な食事を部屋で食べた(涙)。
ふりかけご飯に昔ながらの中華そば(鶏がら醤油)。

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もう、今回の出張では、ラーメンポットは活躍しまくりだったな(笑)。
ちなみに、昨日は最後までとっておいた親子丼&味噌汁。

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見た目はあまりよろしくないが、非常に美味い。
お湯を注ぐだけで出来上がるとは思えない味である。
おいら的には、海外出張にお薦めの一品である。

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まあ、そんなこんなで、ぼちぼちナイロビ生活が終わろうとしている。
アフリカでは、おそらく一番訪れている国だと思う。


さっき、おいらの海外出張記録を見てみた。
今回で16回目、のべ滞在日数は、570日(約1.6年)だった。


ケニア、まだまだ治安は悪いところだけど、
仕事を一緒にする方たちの人柄もよく、
自然もたくさん、野生動物もたくさん。
とっても、素敵な国だと思う。
おいら、ケニアは大好きですよ。


もし、機会があれば、是非訪れてみてください。
日本で味わうことのできない空間を楽しめると思います。


最後に手前味噌となりますが、少し、今回の写真をアップしました。
この写真からケニアと言う国を感じとれて頂ければ嬉しいかな。
よろしければ、ここをクリックして見てください。



アサンテ・サナ! ケニア!
クワヘリ・サナ! ケニア!


2011.08.24 雑記
特に書くネタもないのですが、少しだけ。


あと、数日で日本へ戻ります。


おいしい料理と酒が楽しみです。


日本には約1週間ほど滞在します。


その後、大好きな東南アジアへ1週間ほど出張です。


帰国後は、夏休みです。


会社からたくさん休んでもいいみたいな事なので、


9月中旬から下旬まで休もうかと企んでいます(笑)。


で、夏休みは勿論、子供と一緒にBKKライフを満喫します。


ついでに、牛追い通りや国際通りを見学しながら、


馴染みのバービアや居酒屋でまったりしようかと思います。


そして、今回のBKKは携帯電話の購入がメインイベントです。


おそらく、Xperiaかノキアだと思っているのですが、


密かにタグホイヤーの携帯が気になっている今日このごろです。


でも、仮にあったとしても高級すぎて買えないと思います。


まあ、こんな感じです。


では、最後のレポート作りに突入します。

円高ドル安が続いていますね。
で、こちらはなぜか、ドル高ケニアシリング安の傾向。
なので、円-ケニアシリングは、ウハウハ状態。


どーも、経済のことはさっぱりわからない管理人です。
さて、本日は「俺と英語の物語 最終篇」をお送りします。


海外事業部へ異動したにもかかわらず、
相変わらず英語の成績は(TT)。
まあ、適当に話せるぐらいにはなってきましたが。。。


そんなわけで、一応、仕事を受注しなければならないわけで、
そのためには、公的機関の英語の資格も必要となってくるので、
とりあえず、勉強でもするかと思い、ALCの通信講座を始めることになる。


ちなみに、当時はこんなにコースの種類があったか記憶にないが、
450点の自分が、いきなり900点コースにチャレンジしても無理があるので、
この表が正しいかどうか不明だが、上級と中級の境にある730点コースを選択。

s48-alc-toiec.jpg


教材が届いてからは、最初のうちは毎日少しずつノルマを達成。
このコースの良いところは、すぐスコアアップにつながるパートから取り組みことになっている。


なので、通信講座を始めて、たしか、3,4か月後ぐらいにTOIECを受験してみた。
そしたら、点数がいきなり200点アップした。


つまり、450点から650点になったのである。
たしか、リスニング:350点、リーディング:300点だったと思う。
相変わらず、英文法がだめなんですね(笑)。


その後、海外出張が忙しい時期に突入し、
海外に教材を持参し、テストを解いて、
DHLで海外からALCに答案を送ったものだった。


まあ、なんとか、通信講座期間内に終えることができたけど、
最後のほうは、もうめちゃくちゃだった。
とりあえず、テストをやっつけて送るみたいな感じで。


しかし、やはり、このような教材というのは、
それなりに頑張れば、ちゃんとスコアがアップするんですね。
思わず、教材を開発している方を尊敬してしまいました。


その後も何回かTOEICのテストを受けているが、
スコアはアップしているが、まだ満足のいくスコアではない。


現在、英語熱は少し冷めてしまっているのだが、
今後の会社の行方もわからないので(笑)、
海外で就活できるよう900点以上を目指して頑張ってみよう!




さて、ALCの通信講座のその後だが、
もうひたすら実践(現地業務)あるのみって感じです。


いろんな仕事の中で研修の講師を担当したり、
セミナーやワークショップで発表したり。


すごいよね。
英語を話すことができなかった人間が、
3週間、4週間の研修コースで講義をするわけだから。
本当、ある意味、経験というのは恐ろしい(笑)。


それに、セミナー、ワークショップでは、
原稿なしでマイク片手に発表できるようになった。


話しをしている英語のレベルはまだまだだが、
度胸だけは一人前になり、手が震えることもなくなった(笑)。
また、節々で簡単なジョークも言えるようになった。


英語の勉強は、学校や通信講座も文法をしっかりと覚える上では必要かと思う。
でも、それ以上に話す英語は、体験に勝るものはない。


ただ、おいらの仕事では、客先と協議したり、
業者とネゴしたり契約書を交わしたり、
オフィシャルな報告書を書かなければならないから、
間違った英文法で報告書を書くわけにはいかない。


なので、今は自分で英語の報告書や資料を作成するが、
それは、全て会社に居るネイティブに校正してもらっている。


この校正だが、非常にありがたいことでもある。
なんせ、お金を出さずに自分の英語をチェックしてもらえるのだから。


だから、おいらはなるべく自分で英語を書いて、
ネイティブに見てもらうようにしている。
メールでお願いするときもできるだけ英語で書いている。


無料で英語が勉強できる環境にいるわけだから、
利用しなければ損である(笑)。


これは余談だが、このブログにリンクしてある写真ブログは英語である。
これも自分の勉強のために英語でトライしてみた。
まあ、同僚イケちゃんの真似だけどね(笑)。


そうは言っても、タイトル一つにしても英語で考えなければいけないから、
それなりに辞書を引いたり、ネットで検索したりする場合もある。
案外、英単語や熟語を覚えるには都合が良い。


そのうち、短い文章もアップできるようになればいいかなと思っている。
ただ、このブログの英語は、だれの校正もないので、
多々間違いがあると思うが、まあ、そこは許してください(笑)。




そして、最後に、

50近くなったおっさんから、若者たちへ。


英語は知っていて損はないと思います。
今の日本の状況を見れると、日本国内の就職率も低いし、
失業率も高くなってきている。


なので、若いときに英語を勉強して、体験して、
そして、海外に出ていって欲しいと思います。


最近、私の事業部に入社してくる若者達は、みんな英語が達者です。
英国、米国のマスターコースを出てくる者も多いです。


英語ができる=仕事ができる、というわけではないですが、
就職への選択肢が広がるわけですし、
英語というのは、持っていて損はない資格だと思います。


50近くなって、TOEIC900点以上を目指すおっさんも居るわけですから、
若者のみなさんも是非とも頑張ってください。



さて、今日はこれから英語のレポート作成です。
たぶん、10ページぐらいだと思うけど、ドラフトを完成させ、
日本にいる日本語達者なジェームス君へ送らないと。



では、ごきげんよう。




■ おまけ 先週出会った面々 ■
海外で仕事をする特典です(笑)

Zebra
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Giraffe
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Rhino
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Buffalo
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Baboon
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Gazelle
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Lion
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さて、時間が少し経ってしまったが、
俺と英語の物語 -社会人篇(上)-の続きでござる。


たしか、後輩に英語検定の点数に負けて、
英語学校に通い始めた後からですな。


TOIECでも450点、なんて点数をとりながらも、
海外現場に行く人材がいなかったので、
1994年ごろから2000年ごろまでは、
東南アジア各地を転々としていた。


英語学校に行ったことで、多少は話せるようになったのと、
さすがに、これだけ現場の数を踏んでくると、
片言英語でもそれなりに通じるようになってきていた。


ちょうど、2000年だったと思うが、
今まで働いていた国内部署が解散することに。


さて、さて、どのように身を振るかななんて考えていたときに、
当時、一緒に仕事をしていた海外事業部長からお声をかけて頂いた。


このころ、海外事業部長とは、カスピ海西側に位置する国で一緒に仕事をし、
公私にわたり、大変面倒を見ていただいていたのである。


ところで、この国ではキャビアが有名で、
とくに週末は港の市場に買いにいっていた。


そして、部屋ではみんなでキャビア・パーティー。
キャビア丼、キャビアの手巻き寿司、いろいろと楽しんだな。


ちなみ、キャビアはベルーガ級で100gちょっとで15ドル程度だったかな。
とくに港では塩漬けされていない、生キャビアを売っていて(これは美味い)、
500gで30~40ドルぐらいで手に入った。


まあ、とにかく、この国では一生分というか、それ以上のキャビアを食べた。
ウオッカ、キャビア、ウオッカ、キャビアである。
ここで、今の体型の基礎ができあがったのだろうwww


それと、キャビアもそうだがこの国の女性は綺麗だった。
ロシア系の白人からアラブ系が混じったエキゾチックな顔立ち。
もう一度、行きたい国の1つでもある。


さて、話はだいぶ横道にそれてしまったが、
そんなこんなで、英語もできないまま海外事業部へ異動。


そして、2001年には南ア方面のある国でセミナーを開催。
もう、海外事業部員なわけで、英語ができないとか言ってられない状況に。


このセミナーで、初めて2本(45分程度)、プレゼンをした。
大勢の前で英語で話す初めての体験だった。


もちろん、カンペを見ながらのスピーチであるが、
持っていたマイクがぶるぶる震えていたのを今でも覚えている。


往路の飛行機の中でスライドを作成し、
現地についてからも2日徹夜でスライドと発表原稿を作成。


もちろん、自分ひとりでは無理なので英語の校正は、
米国の大学院を修了してきた後輩(女性)に見てもらった。


とにかく、ここで初めての英語での発表。
そして、紛れも無く、この経験が今の自分を支えてくれている。


まるっきり英語がきなかった自分は、数年もの現場経験を通じて、
そして、海外事業部の先輩方のご指導を通じて、
下手でありながらも英語で少しはプレゼンできるようになったのである。


この初めてのプレゼン後は、いろんなプロジェクトの中で
セミナー、ワークショップでの発表をしたり、研修コースの講師をしたりしながら、
少しづつであるが、英語が使えるようになってきた。


英語学校で学ぶのも必要なのかもしれないが、
こうやって現場で生の英語を使う、触れることが、
英語力を伸ばす一番の方法ではないかと思う。


しかし、このころ受けたTOEICでもさほど点数は伸びなかった。
つまり、日常会話の話す英語と試験の英語は、まるっきり別物である。


私は、国語もそうなんだけど、とにかく文法がまるっきりだめなんですよ。
だから、試験の英語になると、もう\( ̄^ ̄)/
日常会話なら英文法が間違っていても通じるからね。


だからかどうか分からないが、TOEICの試験は今もそうですが、
ヒアリングよりリーディングの方が50点以上も悪い。


TOEICの試験を受けたことがある人はわかると思うが、
後半のリーディングの試験は、文章読んで解答を選択するだけである。


おそらく、英文法とか読解力のある方は、
そこそこの点数がとれるパートでもあると思う。


しかし、私の場合は英語を読むスピードも遅いし、
読解力もないし、文法もだめだから、とほほな結果になるのだ。


そんなわけで、海外事業部員だし、もっとなんとかしなければと思い、
ALCの通信講座を受けることになる。


もちろん、自己投資の自腹ですぞ。
才能がないから、試験のノウハウを手にするにはお金です(涙)。


東南アジアあたりで、もてない親父がジャパンマネーで頑張っているでしょ。
まあ、あれと似たような感じです(笑)。
無いもんは、金で手に入れるという鉄則です。


とまあ、こんな感じで、次回は、最終篇である。
私なりの英語の勉強方法や今後の英語との係わりについて述べたいと思う。


2011.08.17 ゼロ
昨日から現場で、こちらへ来ている。
なにげに、全部ZERO(ゼロ)で気持ちがいい。

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興味のある方は、この座標をグーグルアースにでもぶち込んでください。
私の行ったところがわかります。
ただ、それだけですけどwww


しかし、今朝は何℃か計測しなかったけど、えらい寒かった。
吐く息が白かったですよ、この街は。
本当に赤道近くなのかと思うが、標高も1,800m以上あるからねw


そんなわけで、ナイロビに戻ったら、
ブログの続き(英語篇)を再開する予定。


このまま、フェードアウトするような感じもするが、
おいらなりのメッセージも送りたいしね。
興味はないと思いますが、気長に待っててちょ。













で、このまま終わるのも寂しいので、
せっかくなので、その時の写真を少し。


一応、dp1で撮影しています。
大きいサイズは、そのうち写真ブログにアップ(予定)。


赤道直下の子ども達。
おいらには、「スイーツ」、「マネー」の言葉を連発していたw

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赤道直下の修理屋さん。
自転車のパンクを修理中。
撮影するときににらまれてしまったよw

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最後にお決まりの看板。
KARIBU(カリブ)は、スワヒリ語で「ようこそ」の意味。
HAKUNA MATATA(ハクナ・マタタ)は、「ノープロブレム」。

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どちらかと言えば、タイ語のマイペンライや
タガログ語のバハラナみたいな意味ですかね。
まあ、「なるようになる」という感じでしょうか。


じゃ、ノーン・ラップ・ファン・ディー・ナ・カップ!
タイに行きてーーーーー!

日曜日のため、今日も英語篇はお休みです。
原稿ができていないのは、内緒の話ですよw


さて、今日はワインについて書いちゃおうかな。
実は、以前まではワインなんてあまり興味もなかったし、
自分からすすんで買ったり、飲んだりもしなかった。


でも、1999年ごろから南ア方面で仕事をするようになった。
それまでは、南アフリカがワインの産地であるなんてことも知らなかった。


仕事をするようになって、初めてここはワインの産地なんだと。
スーパーで赤ワインが、だいたい50ランドぐらい。
もちろん、ピンきりであるが、私が飲むのは50ランドぐらいのワイン。


たしか、当時1ランド=15円ぐらいだったと思うので、
1本750円ぐらいかな。


で、当時は赤ワインばかり飲んでいた。
とくに、南アフリカ限定品種のPINOTAGE(ピノタージュ)。


人によって味覚はいろいろだと思うけど、
おいらには、こいつがピッタンコだったのだ。


そして、昨日、ここナイロビのスーパーでこいつを発見。
1本、約1,300円ぐらいだが、久しぶりということもあり、2本購入。

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懐かしさもあり、昨夜は、久しぶりに部屋で深酒してしまった。
やっぱり、美味い。


ワインといえば、フランス、イタリア、スペイン、カリフォルニア、
チリ、アルゼンチンなど色々美味しいものもあるかと思うが、
おいらにとっては、南アのピノタージュが今のところ一番のオキニである。


ちなみに、もう一つ、ピノタージュの次に好きなワインがある。
そいつは、モンテネグロ産のこいつである。

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プランタージュのVRANAC(ブラナッツ)。
こいつは、ブラナッツ・プロコルデというものだが、
こいつの下のただのブラナッツで十分に美味しい。


たしか、ただのブラナッツで1本2.5ユーロぐらい。
まあ、約300円ぐらいかな。


このモンテネグロのワインも安くて美味しい。
とくに安さは半端ないね。
もう水がわりに飲んでしまう。


と、今日は赤ワインについてでした。
ちなみに、ぎんぎんに冷えた白ワインも大好きで、
南アのPGC(プリミア・グランド・クリュ)は最高に美味い。


みなさんも、もし、南アのワインを飲まれる機会があれば、
PINOTAGEとPGCを試してみてください。


じゃ、また。

2011.08.13 日本飯
今日は、英語の話ではなくて、日本のマスコミについて書こうと下書きしていた。
アフリカ時間の夕方にアップしようかなと思っていたら、高岡何某が。。。


おいらが書いていた内容と彼の言い分が少し重なった感じなので、
下書きは没(×)にしようかと思う。


その代わりと言ってはなんだが、今日はアフリカの日本食を紹介しようと思う。
英語の続きは、明日以降って感じでよろしくお願いします。


ここは、東アフリカ最大の都市ナイロビ。
それなりに日本人も居るので、それなりに日本食もある。


今日は、昼飯どきに某社の方と一緒にランチを。
まあ、その方とは、かれこれ17年ぐらいの付き合い。


その方のホテルに行き、そして向かった先はここ。
ナイロビの日本飯といえば、日本人倶楽部。
と、今日までは思っていたwww

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今日まで思っていたと言うのは、あまににも荒れ果てていた。
これって、本当に日本人が管理しているのかなと思うぐらいだった。

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写真でも見ると分からないけど、けっこうきてるよ。
床は抜けたり、くぎが出ていたり。


まあ、そんなことはほっといて、美味い飯と酒が飲めればいいや。
まずは、お品書きから。

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で、まず注文したのは、焼き鳥&餃子。
どちらも味はまあまあ。

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続いて、いか焼き。
このいか焼き、おいらの中では定番メニューである。
注文時は、「いか焼き、Biggest」と注文するのが礼儀であるw

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続いて、某社先輩は、照り焼きチキンを注文。
これもまた美味し。
ここれは、はずせないメニューだね。

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そして、日本人の味、厚揚げを注文。
アフリカで豆腐、感激だぁぁぁ!

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で、最後は、先輩は醤油ラーメン。
おいらは、握り鮨。

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久しぶりに満足のいくランチだった。
適当の酔ったしwww


まあ、アフリカでもナイロビでは、
この程度のものは食べることができます。


ぜひ、みなさんも一度アフリカまで。



じゃ、また。

さて、入社後からですね(笑)。


そう、バブルがはじける寸前に入社した。
就活もなく(当時は会社側から頭を下げてきていたからね)、
何の苦労もなく、英語もできないままの入社である。


入社して半年後に配属先が決まった。
配属先では、メインではないが海外の仕事もしており、
先輩達の数名は、年に1,2回は海外出張をしていた。


まあ、当然、私のような英語ができない人間には、
海外出張なんて来るわけもないし、まして新入社員だしね。


ところがどっこい、入社2年目だったかな、
いきなり国際学会で発表だといわれた。


もう、必死になって上司に抵抗したことを覚えている。
しかし、そこはサラリーマンの世界、断固として認めてくれなかった。
かくして、これから翌年に行われる学会発表の原稿作成が始まったのだ。


こんな原稿を書くのも初めてに近かったし、しかも英文だよ。
全く英語ができないのに、英語で原稿を用意しなければならないなんて。


通常勤務時間内でも収まらず、土日は上司の家に呼ばれて、
上司の書斎に缶詰状態。


もう、死にたいぐらい嫌だったね、このころ毎日が。
出社拒否でもしようかと思ったぐらいだよ。


まあ、最後は時間が解決して、なんとか原稿を学会に提出。
そして、翌年、初めての海外、しかも英語の本場、U.S.A.だよ。


結局、全くと言っていいほど英語が話せないままアメリカである。
ホテルの受付、学会参加のレジストレーション、
昼飯のホットドッグ、晩飯のレストラン。
食後のバーなどなど、とにかく全部英語なんだよ。


しかも、当たり前だけど、みんな流暢な英語をしゃべるんだよ。
なので、あまり楽しかった思い出はないかな(笑)。


まあ、それでも、自由の女神みたり、エンパイア行ったり、
スミソニアン行ったり、ホワイトハウス見たり、
いいことも少しはあったかな。


でも、今思えば、バブルな時代がなせる業だったんだろうね。
こんな人間でもアメリカ出張だからね(笑)。


さて、その後、数年間は海外出張はなかった。
国内の仕事を毎日地道にやっていたのである。


ところが、ある時、海外現場に行く人間がいなくて、
当時の課長に、「頼むから行ってくれないか」と言われ、
まだまだ地雷たっぷりのカンボジアへ飛ばされた(笑)。


時は1994年8月、そうUNTACが引き上げた直後ぐらいだった。
そのときも私の英語力は全く改善されておらず、ほとんど話せなかった。


本当にこんな人間が海外出張して良いのかとも思ったが、
学会ではなく海外現場ということもあり、その時は興味が勝ったのだろう。


話は少しはずれるが、これが東南アジア、特にタイに嵌る
トリガーにもなったことは内緒の話ですぞ(笑)。


その後も、ラオス、タイ、ビルマと現場を渡り歩いていたが、
全く私の英語は進歩しなかったな。


そんなある日、会社で英語検定があった。
現状の実力でも見ているか思い、
当時一緒に働いていた後輩と受験。


その結果、海外に行っていない後輩の方が
なんと私よりも良い点数をとったのだ(涙)。


さすがに、これにはショックを受けて、
このままではいかんぜよ、と思い改め、
会社近所の英会話教室に通い始めた。


マンツーマンのコースで週に2回程度だったかな。
ここで、本格的に白人さん達と英語を話すようになった。


しかし、思うようには進歩しなかったな。
なんだったんだろうね。
やっぱり、単純にやる気の問題だったのかな。


そして、英会話教室に通い始めてから、
数ヶ月後にTOEICを受験してみた。


結果は、たしか450点ぐらいだったような記憶が。
しかし、結果を真摯に受け止めることもなく、
このような状態でしばらく海外出張を続けていた。


しかし、驚きでしょう。
こんな点数で海外で仕事しているのだから。



では、次号は、多少は改善されてきた
社会人篇(中)をお届けする予定です。


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